帰還困難区域に入る

4年ぶりに双葉町、大熊町、浪江町の帰還困難区域に入った。

福島第一原発から最も近い、大熊町にある『大野駅』前で放射線量を計ってみた。事故を起こした原子炉建屋から直線距離で4km。原発事故以降に造った駅舎の駅前はアスファルトになっている為に線量は0.1μSv/hと低い。それでも原発事故前に比較し2~3倍。

しかし、そこから20mも離れていない道路わき(小さな杉林がある)は、その11倍の1.1μSv/hと高い。原発事故前の20~30倍の線量。すぐ横には新しい民家も建っている。原発事故前の線量になるまでは、更に約70年はかかる。

室内は若干低くなっていたとしても、屋外に24時間、365日滞在したとすれば、年間10msVの被ばく線量になる。10年間で100mSvにもなる。こんな場所に住んで良いはずはない。避難解除したとする根拠となる線量値はいったい、いくつなのか?その根拠を政府は未だに明確に示していないが、年間20mSvでは健康に影響が出ないはずはない。例え、がん等の健康に影響が出たとしても、放射線との因果関係を証明する事は困難だ(※)

大野駅周辺は特定復興再生拠点区域と帰還困難区域の境目にある。
駅前から線路沿いにある道路には侵入できない。帰還困難区域除になっているのだろう?常磐線を通す為に、駅前だけを除染(新たに建設)したが、そこから10mも離れると線量は10倍も高くなる。

原発周辺の6号線沿いや浪江町から川俣町や二本松市に通ずる国道114号線や459号線沿いは帰還困難区域である。途中には希望の牧場や線量の高い津島地区がある。

原子炉建屋から直線距離で9kmの富岡町にある東電廃炉資料館前の線量は0.31μSv/hと、ここも高い。周辺よりも高くなっているようだ。理由は不明・・今でさえも、原発事故前の6~8倍。原発事故前の線量値に戻るには、さらに40年はかかる。

※民報新聞記事から転載:
『避難指示の解除基準は「二〇ミリシーベルト」だが、将来的な目標は「一ミリシーベルト」。いずれも安全性などを明確に区別する基準ではないが、除染を巡り二つの基準が共存する。年間二〇ミリシーベルトになったことで避難指示が解除された場合、その後どのような手法で速やかに一ミリシーベルト以下に放射線量を低減させるのか。政府の方針は不透明なままだ。

住民は二つの数値基準に戸惑い、望郷の念と放射線量への不安の間で揺れる。「年間一ミリシーベルト以下でなければ安心できない」「二〇ミリシーベルトで健康に問題がないと言い切れるのか」との声が上がる。』

追加被ばく線量を年間1mSvにするには、屋外の線量を0.23μSv/hと政府はしているが、これはあくまでの屋内が屋外に比較し0.4倍、更に1日16時間は屋内、しかもBG値(原発事故前の線量値)を引いた、追加被ばく線量で規定している。
 
     
        【大野駅から20m離れた場所】
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           【東電廃炉資料館前】
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