日本100名城・弘前城
4泊5日の北東北の旅の初日には白神山地へ行く途中で弘前城に立ち寄った。一昨年行ったが日本100名城のスタンプを押していなかった為にスタンプを押す為が主目的。今回は天候も良く、天守閣と岩木山との2ショットが撮れた。初日から運が良い。
地震によって天守閣の基礎部分にあたる石垣が膨らみ(はらみ)、調査の結果崩れる可能性が出てきたとの事で石垣修復工事の為、一時的に天守閣は本来の位置から78m程度離れた位置に、70日かけて移動。一昨年(2022年)行った時も天守閣は移動していた。数千名の市民が1日あたり1m程度引っ張り移動させた。石垣工事の完了は2024年。天守閣をもとの位置に戻すのは2025年のようだ。
https://www.hirosakipark.jp/ishigaki.html
築城時の天守は5重だったが、落雷により焼失。江戸時代に本丸の辰巳櫓を改築して天守台用とした。これが現存する天守のようだ。
以下はHPから一部転載・・
史跡 弘前城
弘前城は、津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)によって1603年に計画され、二代目信枚(のぶひら)が1610年、築城に着手し、翌11年に完成。以後、弘前城は津軽氏の居城として、廃藩に到るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用された。
弘前城は、東西約600m、南北約1000m、面積約50haの中に、三重の濠(ほり)と土塁(どるい)に囲まれた6つの郭(くるわ)から構成。 城内には、天守閣、櫓(やぐら)3棟、城門5棟が残され、いずれも重要文化財に指定。また、城跡は築城当初の形態が良くのこされており、1952年に国の史跡として指定。
一昨年行った弘前城の記事は以下ご覧ください。
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2022-06-14-1
地震によって天守閣の基礎部分にあたる石垣が膨らみ(はらみ)、調査の結果崩れる可能性が出てきたとの事で石垣修復工事の為、一時的に天守閣は本来の位置から78m程度離れた位置に、70日かけて移動。一昨年(2022年)行った時も天守閣は移動していた。数千名の市民が1日あたり1m程度引っ張り移動させた。石垣工事の完了は2024年。天守閣をもとの位置に戻すのは2025年のようだ。
https://www.hirosakipark.jp/ishigaki.html
築城時の天守は5重だったが、落雷により焼失。江戸時代に本丸の辰巳櫓を改築して天守台用とした。これが現存する天守のようだ。
以下はHPから一部転載・・
史跡 弘前城
弘前城は、津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)によって1603年に計画され、二代目信枚(のぶひら)が1610年、築城に着手し、翌11年に完成。以後、弘前城は津軽氏の居城として、廃藩に到るまでの260年間、津軽藩政の中心地として使用された。
弘前城は、東西約600m、南北約1000m、面積約50haの中に、三重の濠(ほり)と土塁(どるい)に囲まれた6つの郭(くるわ)から構成。 城内には、天守閣、櫓(やぐら)3棟、城門5棟が残され、いずれも重要文化財に指定。また、城跡は築城当初の形態が良くのこされており、1952年に国の史跡として指定。
一昨年行った弘前城の記事は以下ご覧ください。
https://nimosaku.blog.ss-blog.jp/2022-06-14-1
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