日本100名城・特別史跡名古屋城
4泊5日で、名古屋城や国宝・犬山城等、愛知県、岐阜県、静岡県の6つの『日本100名城』と2つの『続日本100名城』、そして清州城、関ヶ原、熱田神宮等を巡ってきた。
初日は日本100名城の一つである名古屋城に直行。
関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いた徳川家康は1609年に名古屋城の築城と清州からの街ごとの引っ越しを決定。清州は低地にあり、五条川の洪水に弱い事も理由の一つ。名古屋城は熱田台地(名古屋台地)で若干高いところに位置している。
徳川家康は築城にあたり、加藤清正、福島正則ら四国大名20家に普請(土木工事)を命じた。これを公儀普請という。3年後には天守閣などが完了し、1615年に完成した。
大阪城を拠点に強力な軍事力を保っていた豊臣秀頼(亡き秀吉の三男で後継者)を中心とする豊臣方との武力衝突に備え、大阪城を包囲するよう多くの城を築城。その仕上げが名古屋城だった。国指定特別史跡に指定されている。
この新たに造られた基盤割り(100m間隔に道路)の街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれている。名古屋の街が100m間隔に碁盤の目のような道路ができているのは、徳川家康の時代に造られた街が基本となっている。名古屋市民は徳川家康に感謝しなければならない。
名古屋城本丸御殿は天守閣などの完成と相前後して着工し、1615年に完成。しかしながら昭和20年の空襲で建物の全てが焼失。平成21年から復元工事が始まり、平成30年6月に完成公開を迎えた。但し襖絵の一部は今も復元中である。
御殿の造りの華やかさは二条城の御殿とほぼ似た感じも、上洛殿の上段之間は二条城には及ばない。
























初日は日本100名城の一つである名古屋城に直行。
関ヶ原の戦いに勝利し、江戸幕府を開いた徳川家康は1609年に名古屋城の築城と清州からの街ごとの引っ越しを決定。清州は低地にあり、五条川の洪水に弱い事も理由の一つ。名古屋城は熱田台地(名古屋台地)で若干高いところに位置している。
徳川家康は築城にあたり、加藤清正、福島正則ら四国大名20家に普請(土木工事)を命じた。これを公儀普請という。3年後には天守閣などが完了し、1615年に完成した。
大阪城を拠点に強力な軍事力を保っていた豊臣秀頼(亡き秀吉の三男で後継者)を中心とする豊臣方との武力衝突に備え、大阪城を包囲するよう多くの城を築城。その仕上げが名古屋城だった。国指定特別史跡に指定されている。
この新たに造られた基盤割り(100m間隔に道路)の街が現在の名古屋の原型となり、町や橋の名前も受け継がれている。名古屋の街が100m間隔に碁盤の目のような道路ができているのは、徳川家康の時代に造られた街が基本となっている。名古屋市民は徳川家康に感謝しなければならない。
名古屋城本丸御殿は天守閣などの完成と相前後して着工し、1615年に完成。しかしながら昭和20年の空襲で建物の全てが焼失。平成21年から復元工事が始まり、平成30年6月に完成公開を迎えた。但し襖絵の一部は今も復元中である。
御殿の造りの華やかさは二条城の御殿とほぼ似た感じも、上洛殿の上段之間は二条城には及ばない。
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