智恵子の生家

2階の智恵子の部屋も公開する特別展との事で、高村光太郎の妻・『智恵子の生家』を訪れた。純愛に生きた二人の世界、波乱万丈の智恵子の一生を感じ取った。

1886年に福島県安達郡油井村(現在は二本松市)に長沼家の長女として生まれる。福島高等女学校、日本女子大学を卒業。洋画家の道を選んで東京に残り、高村光太郎に出会う。

智恵子が愛してやまなかった『ふるさと・・阿多多羅』
その純朴さを残す町並みの中に智恵子を育んだ『生家』
明治の初期に建てられた生家には、造り酒屋として、
新酒の醸成を伝える杉玉が下がっている。
屋号は「米屋」、酒名は「花霞」
二階にある智恵子の部屋からは、今にも智恵子が降りてきそう・・・

33歳の時、父朝吉が亡くなると、長沼家にも智恵子にも暗い影を落とす。
この頃から病気がちで1年の3、4か月は郷里で暮らすようになる。
44歳の時に長沼家は破産し、一家は離散。
48歳の時に総合失調症の兆候が現れる。
47歳の時に自殺未遂
50歳の時 南品川の病院に入院
52歳の頃から病室で紙絵製作。
53歳の時、肺結核で亡くなる
智恵子が亡くなった3年後に光太郎が詩集『智恵子抄」を刊行

光太郎がたびたび智恵子の実家を訪れ、二人で散歩した径を歩いてみた。
急な坂道を登りあげると、安達太良山と阿武隈川が見える高台(鞍石山)に出る。


『あれが阿多多羅山(安達太良山
 あの光のが阿武隈川』


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【2階の智恵子の部屋】
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【智恵子の生家の裏山から見える安達太良山】
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